2016年




ーーー11/1−−−  これまでの製作数


 9月の木工展で、同室の作家と雑談をしていたら、これまでに製作した作品の数が話題に上った。その時は、曖昧な記憶で喋ったが、後日資料を調べてみた。

 「納品リスト」という資料がある。開業当初から、納品をする毎に記帳してきたものである。顧客にお納めした作品一つひとつに、通し番号が付されている。家具一つごとに、例えば椅子なら一脚ごとに、番号が割り当てられる。小物(テーブルウエアや小箱、靴ベラ、押花機など)は対象外である。

 リストの1番は1991年1月に東京のA様に納めたベビータンスだった。そしてリストの最後は、今年の9月、東京のT様に納めたコーナー棚で、番号は528。つまり、これまで納品した作品の総数は528ヶということになる。この他に、商品在庫が25点、自宅で使用している家具が10点あるので、これまでに作った家具は563ヶに上ったと言ってよいだろう。

 納品した528ヶの、内訳はどうなっているか、種類別に数えてみた。その結果は、椅子が339、テーブルが77、箱物が56となった。その他として56点あるが、それらはベッド、棚、ドア、行灯、書見台などである。

 椅子が圧倒的に多いが、その内でもアームチェア06(旧版のアームチェア92も含む)が105脚と多く、次いでアームチェアCatが73脚であった。この二種類だけで、椅子全体の半分以上を占めている。中でも、Catがこれだけ売れたのは、自分としても驚きであった。純粋にオリジナルの椅子で、価格が15万円以上するものが、販売開始以来16年間に渡って売れ続け、これだけの実績になったというのは、個人木工家としては、あまり例が無い事ではないか。

 ともあれ、納品リストを眺めると感慨深いものがある。ご注文主の中には、既に亡くなられた方も多い。そして、過去に製作し、納入した一つひとつの作品の記憶が蘇る。特に箱物家具は、顧客のご要望に合わせて作ることが多く、それ故に難しいケースも多い。それやこれやの事柄が思い出されて、胸がキュンとなった。




ーーー11/8−−− はるちゃんとの日々


 8月初めから、第二子出産のため里帰りをしていた長女が、無事に全ての予定を終えて、先週末大阪へ帰って行った。当初は長丁場だと感じられたが、過ぎてみるとあっという間の出来事であった。ともあれ、なかなか濃い三ヶ月間であった。

 出産の方は、産前産後を通じて、何の問題も無く推移した。本来は命に関わることもある重大事なのだが、これほどすんなり終わると、その重大さを忘れてしまいそうである。もう一度思い返して、感謝をしたい。

 出産に負けず劣らず我々夫婦の関心の的だったのは、二歳になった上の孫「はるちゃん」の動向であった。以前から、人見知りが激しいのを知っていたからである。はるちゃんが我が家に馴染んでくれるかどうか、不安は大きかった。

 案の定、我が家に入った直後から、はるちゃんはかたくなだった。母親から一瞬たりとも離れようとしなかった。爺婆の顔を見て泣くほどではなかったが、触られるのさえ嫌がった。二ヵ月後には長女が病院に入り、我々二人で数日の間はるちゃんの面倒を見なければならない。その時までに慣れてくれるかどうか、家内はおおいに心配をした。

 その心配は、日が経つうちに薄れていった。母親を中心とするはるちゃんの行動半径は次第に広がり、反対に爺婆との間に取る距離は徐々に縮まっていった。一ヶ月の後には、家の中を一人で歩き回り、呼べば来るし、一緒に遊んだりもするようになった。慣れてくれれば、孫はなおさら可愛いものである。思わず目を細めてしまう自分を発見し、照れてしまうこともあった。

 はるちゃんの試練は、その後に訪れた。9月21日に二人目が生まれて、状況は一変した。それまで家族の愛情を一身に受けていたはるちゃんは、その地位を妹と分け合うこととなった。この変化が彼女に与えたインパクトの大きさは、想像に難くない。その心境がいかばかりだったかと思うと、心が痛む。

 野生動物の生存競争とは違った意味で、人間には自我がある。生存には何の不自由が無くとも、自分が期待する通りに愛されてないと感じるのは、辛く悲しいことなのである。




ーーー11/15−−− ライティングビューローもどき


 ライティング・ビューローという家具がある。机と引き出しキャビネットが合体したような家具で、机の甲板は開閉式になっている。上部は、甲板の上に箱が載ったような形になっており、甲板を丁番で折り曲げて反転すると、箱の前面が塞がれる仕組み。机として使用する時だけ甲板を展開し、それ以外の時は畳んでおけるので、コンパクトである。また、甲板が前方に展開され、その下に足が入れられるので、下部のキャビネットに足が干渉することはない。つまり、キャビネットは通常のタンスと同じような構造にでき、収納の容量も大きくとれる。いわゆるデスクとは違った、一人二役の家具なのである。

 このライティング・ビューロー、民芸家具にも品揃えがあり、従来からファンが多いようである。漫画の主人公の部屋の中に、この家具を見付けたこともある。実用面もさることながら、可動式の家具と言う面白みがあると思う。上部の区画が、折り返された甲板によって密閉されるので、自分だけの秘密の空間を作れるような魅力もあるだろう。木工家具作家にとっても、一度は作ってみたいアイテムではないかと思う。もっとも私自身は、作った事は無いし、作る予定も無いが。

 ところで、ライティング・ビューローでは無いが、その発想をちょいと頂いた代物を、一年ほど前から使っている。

 私が自宅の居室で使っている事務机は、十年以上前に自作したものである。甲板のサイズは、奥行が60センチで、間口が180センチ。左端には奥行40センチ、長さ120センチの机が、L字型に連結されている。元々は二階の事務所で使うために作ったので、見栄えにはこだわらず、実用本位な品物となっている。部屋の隅の壁にへばり付くように置かれたカウンターのような印象である。自分で設計したものなので、それなりに使い心地は良い。

 ところが、当初は想定していなかった問題が生じた。パソコンをこの机で使うようになったら、甲板のスペースを取られてしまい、書き物が出来なくなってしまったのだ。仕方なく、書き物をするときはダイニングテーブルに移動したりした。

 ある日突然、思い付いた。甲板の裏には、浅い引き出しが二杯設置されている。その引き出しを途中まで抜いて、それに書記板を載せるのである。書記板の表面は、机の甲板と同じ高さになるよう、厚みを整えた。使わない時は、書記板を机の下に立ててしまっておく。これは便利だ。机の甲板が拡張される感じである。

 サポートを引き出して板を載せる感じが、ライティング・ビューローに似ている。もちろんライティング・ビューローに比べれば、格好が悪い。しかし、実用的ではある。ライティング・ビューローは、甲板を展開すると、甲板の下の引き出しが使えないという欠点がある。それに対してこの板載せ方式は、板をずらすだけで引き出しの内部にアクセスでき、必要な文房具を取り出せる。なにしろ引き出し内部は露出しているのだから。

 載せる板は、二種類用意してある。一つは、上に述べた、机の面と同じ高さになるように作ったもので、本格的な事務作業に使う。机面の拡張という目的には叶っているが、大きくて重いので、取り扱いが少々面倒である。もう一つは、薄い合板にスチレンボードを張ったもの。小さくて軽いので、出し入れがし易く、ちょっとメモ書きなどをする場合には都合が良い。

 こんな工夫をして使っている事を長女に話したら、「あら、私もそれをやっていたわ」と言った。学生時代、研究室の自分の机で、同じように引き出しを途中まで抜いて、板を載せて使っていたと。机の上が資料でふさがっていて、昼食を食べるスペースが無いときなど、この方法でしのいだそうである。自分では気に入っていたのだが、周囲からはあまり評判が良くなかったようだと言った。




ーーー11/22−−− 過剰な?対応


 登山関係のブログを見ていたら、気になる記事があった。ニュースで報じられた遭難騒ぎに関するものだったが、その騒ぎとは、登山パーティーが下山しないので、宿泊予約をしてあった民宿が警察に通報、捜索を行ったというものだった。パーティーは翌日、自力で下山しているところを発見された。私が気になったのは、山行当事者あるいは関係者以外から通報が行なわれていたという事実である。それも、午後7時過ぎという、比較的早い段階だったという。

 警察が、通報に基づいてパーティーの家族などに連絡をし、捜索の要請を得て行動を開始した可能性もある。民宿は、単に気になった事柄を警察に連絡したのかも知れない。田舎のコミュニティは、あまり構えずにそういうことをやり取りする体質にあるとも想像できる。民宿の行動を、行き過ぎだと非難するわけにはいかないだろう。むしろ客の安全を心配するあまりに行なった、褒めるべき行為と見る向きもあるだろう。しかし私には、やはりちょっと気に掛かった。

 私も過去に多少は危険な登山をやっていたが、当時は遭難騒ぎに対して神経過敏なところがあった。自分が遊びでやっている行為で社会を騒がせたりするのは、恥ずべき事だと思っていたのである。事故が起きても、遭難救助を要請するなどというのは最後の手段であり、なるべく自分たちの力で処置をすべきだとも考えていた。自然の中に入っていく登山という行為には、そういう覚悟が不可欠だと信じていたのである。そんな昔風のストイックな価値観を持つ私にとって、他者の通報で遭難騒ぎが発生したという事例は、なんともやるせない気がした。

 ところで、これは自分が体験した事。北アルプスの山上のテント場に着き、幕営の申し込みをするために山小屋に入ったら、ちょっとした騒ぎが起きていた。予約無しで宿泊を頼んだ登山者が、小屋の主人から叱られていたのである。理由は、もし途中で事故にでもあったらどうするつもりかと。主人の話では、予約した客が夕方になっても到着しない場合は、安全のため迎えに行くそうである。そこまで気を使っている小屋だから、連絡無しで来るような事は止めてもらいたいというお叱りだった。

 さて、次はテレビで見た出来事。やはり北アルプスの、3000メートル近い稜線の山小屋。陽が沈んでから到着したパーティーを、小屋の老主人が激しい口調で怒鳴りつけていた。あまりにも強烈な言い方に、相手はあっけに取られたような表情だった。叱った理由は、日が暮れてから到着するような行動スケジュールは、登山の常識から外れていて危ないと。なにも怒鳴りつけるような話では無い。ましてや相手は客である。まずは「お疲れ様でした。無事に到着できて良かったですね」くらいを述べるべきであろう。その上で、諭したい事があれば、丁寧に説明をすればよい。

 これら三つのエピソード。私にとっては、「何だか変だ」と感じるような出来事である。安全を最優先に考えれば、こういう現象が発生する可能性はあるかも知れない。しかし、登山というのは、自らの行動の責任を自分で取るのが原則である。その原則の内で、自由に行動するから楽しいのである。他人にあれこれ指図され、問題を起こしてないのに非難されるようでは、山登りも興ざめだ。

 しかし考えてみると、山小屋の対応が行き過ぎているとばかりは言えないかも知れない。昨今の登山ブームで、信じられないような行動をする登山者が増え、山小屋としても対応に苦慮し、その反動として過剰とも思える対応をせざるを得ないのか。




ーーー11/29−−− 百人一首その後


 百人一首を憶え始めて、8ヶ月が経過した。最終段階の「あ」で始まる17首を、先日やり終えた。これで一応、百首全てを、憶えたことになる。正しくは、一旦は記憶したというべきか。

 ともかく、上の句を見て下の句を言う、逆に下の句から上の句を当てるという事を、全ての句について出来るようにした。しかし憶える一方で、忘れていくものもある。憶えた歌の数が増えるほど、紛らわしい句どうしが入り混じり、記憶が混乱する。最終的にどれくらい記憶に残っているかが気になるところである。

 確認のテストをしてみた。表に上の句、裏に下の句を書いたカードが作ってある。記憶する際に使ったツールの一つである。それをシャッフルしてバラバラにし、順番にめくって試してみる。まずは上の句から下の句を当てる事をやってみた。結果は、当たりが88首だった。予想以上に良い出来であった。しかし、瞬時に下の句が浮かばないものがあったし、山をかけて当たったものもある。それらも除くと、成績は8割程度か。

 日をおいて、逆も試してみた。下の句から上の句を当てるのである。これはだいぶ成績が悪かった。当たりは52首だったのである。

 余談だが、逆も憶えようとした動機は、こんな事であった。昨年だったか、ネットのSNSで見た記事に、北海道のある病院では、職員の新年カルタ大会は、百人一首の下の句を読んで上の句を取り競うのが恒例だと書いてあった。その病院特有のやり方なのか、北海道ではそのような事が多いのか、分からない。ともかく、ズブの素人である私には、新鮮な印象だった。そこで、どうせならそれもマスターしようと思い立った次第。

 結果にはずいぶん開きがあったが、逆方向を憶えるというのは、順方向を憶えるにも役立ったと思う。それくらい気を入れて取り組まないと、なかなか憶えられるものではない。100というのは、馬鹿にならない数なのである。

 これからも繰り返し練習をして、両方向とも完全にマスターしたいと思っている。しかし、何のために?。カルタ大会に参加する予定は全く無いし、正月に百人一首で遊ぶことも、もはや無いだろう。

 折に触れ、一首くちずさんで悦に入るのがせいぜいの使い道である。夕暮れ時に庭先で、「さびしさに 宿を立出でて ながむれば いづくもおなじ 秋の夕暮れ」などと風流を気取ったりするのだが、家人の反応は極めて冷ややかである。

 




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